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Ms.Private 大人の恋愛事情 第5話~愛が宿る場所を求めて~


現代の格差婚の定義


いつからかテレビドラマのラブストーリーは
20年前とすっかり様子が
かわっていたことに気付く。
同性同士の恋愛だったり
女性が年上であったりという設定。
それもうんと年の差がはなれている
女性が上の格差婚(恋愛)だ。
10数年前から徐々に増えてきたなぁとは思っていたが
当時のそれらは「特別」感があった。
けれど最近のその設定が
当然あってしかるべきかのように
ごく不自然にストーリーに組み込まれている。

子どもの頃、父の発言で驚いたフレーズがある。
完璧な昭和の九州男児
長男(家長波の扱い)として育った父は
当時筋金入りの亭主関白だった。
某所名人が結婚をしたというニュースがワイドショーで流れていた時のこと。
相手の方が映った時に父が「お古をもらったんだな」とぼそっと呟いた。
当時小学生だった私は?とその意味が分からなかったが
不可解さと何となくの気味の悪さが心に残った。
大人になり、その言葉がもたらした違和感の意味を知る。
その結婚相手の女性はバツイチだったのだ。
「初婚の男性」「再婚の女性(しかも年上)」の設定が
その世代的には疑問だったのだろう。
(しかもイケメンで大人気の男性だったと記載している)
誰かの二番手はノーセンキュー、自分に色に女性を染めたいという世代。
最近のテレビドラマのこうした設定を知ったら
時代の移ろいの激しいギャップに
驚きを隠せないだろう。


年上女の市場価値

私が大学生だった頃はまだまだその名残があった。
「年上の女性に憧れる」時期というのがあるそうだが
当時、男性のそれは10代後半から20代前半の時期に概ね限定されていた。
年上とはいってもプラス5歳までくらいがほとんどで
中にはプラス10歳というツワモノもいたが
それはまだまだレアなケースだった。
そんな年上願望の男子たちも社会人になり
身を固めようとする時期に入ると
結婚適齢層、自分と同じ世代や年下女子を
チョイスするという現実へ切り替える。
そんな男友達をたくさん見てきた。
今も彼らは昔と変わらず同じ志向で
若い女を連れたがる。
社会的にも精神的にも女より優位でありたい
昭和ジェネレーション男子。


支配欲から解放された男たち

ところが、世相を反映しているテレビと同じように
その構図が変わってきた事に気付いたのは
男友達との会話からだった。
年下でおしゃれでイケメンという
恋愛に不自由しないであろう部類の
平成ジェネレーション男子。
彼らと話していると、明らかに年上に
甘えたい願望男子の割合が増えていることに気付く。
彼らにとって5歳程度の年齢差は驚きのギャップではなく
10歳、15歳、中にはそれ以上という恋愛を成就させている人もいたのだ。
彼らに交通するのは、求めているものは男としての
「支配欲」だけでなく
本能的に癒されたい願望「安らぎ」だ。
逆を言えば、雄としてのリードを重視していた
「狩り」の本能が弱まってきているのではと思う。
男が強く、弱い女を守るべし、という不変のテーマの
根本が揺らいできたとすれば
子孫を未来に残すという遺伝子の
記憶されも変化を遂げていくのかもしれないと
頭によぎったがそれは追及することはやめよう。
とにかく、その手の男たちは、女性に相談し導かれて、
リードを相手に委ねる、そんな関係性を垣間見た。


人間の隙間が恋を生む

それはさておき、パーソナルな連絡ツールとして
各SNSを手にした世の既婚者たちは
昭和ジェネレーションも例に漏れず
自由恋愛を楽しんでいる。
大昔、それらのツールが無い時代はそれこそ
逢瀬も大変だったと察する。
往年の演歌の歌詞は、不毛な恋に心を焦がす
切ない恋愛のオンパレードだった。
連絡を取り合う事さえ困難だった時代とは
今や大きく変わり、誰の取次も必要なく
ダイレクトに他人同士プライベートにつながるツールは
恋を生み出すには十分な役割を果たした。
決して華やかな一部の男女間だけのことではなく
ごく普通の家庭の当たり前の毎日がおりなすそこら中に起きている。
日常の隙間に出会いは落ちていて
ひっそりと恋が生まれている。
不倫がどうとか、良いとか悪いとかその議論はおいておく。
ただ、恋をしている人は、結婚で幕を下ろしたはずの
恋愛劇場が終わっていなかった。
日常の隙間にひっそりと幕を開け
主役の前に相手役が登場しては去り
日々新しい台本が生まれ続けている。
再び幕を開けたショーは終わらない。
そんなれない劇場は巷に溢れている。
今も町中に、すぐ側に。


自分が手放したものを相手に見る

そこで、目につくのが年上女性との格差恋愛パターン。
彼らは何を求めてそこにいるのか。
そんな話を聞くたびに問うと皆が口を揃えて言う。
「落ち着く」のだと。
ああ、そうか。頑張り、足り続けて孤独に疾走し
人生の終盤を迎える時代では無いのだ。
気を張り続けて「強いオトコ」の仮面をつけ続ける事も
美徳ではない生きていく時間の折々に
句点も読点も必要でその余白ごとに
頑張りを認められ受け止められたいのではないか。

従順さを求められてきた女性たちは、無意識に
抑制してきた強い自身を解放させる。
諦めて手放したものをきっと
真っすぐな若さに見てしまう。
女性が強くなってそうなったのか
はたまた逆なのかわからないけど
とにかく世の女性、40代はもちろん
50代も60代も美しい人が増えた。
ストーリーを持つ女性から滲む芯のある強さ
艶っぽさとなめらかな曲線を伴う身体。
そんな女性が魅せるふわりとした笑顔に
つい惹きこまれてしまう。
上昇世代の平成ジェネレーション男子が求める
「導き」と「安らぎ」に
マッチングしているのだと、深く頷けた。

これが良いことなのかそうでないのかは分からないし
善悪を付ける気もない。
ただ、しぼんでいく肌とは反比例の
膨らみのある内面を蓄えてきた女性たちは
美しく魅力的であるという事。
それは、偶然手にした産物ではなく、地を踏みしめて
じっくりしっかり生きてきた
昭和ジェネレーション女性が手にした
生き様の結果なのだと、そう思わずにいられない。
そして、その魅力は「女を守れ」と責任と強さを
小さいころから刷り込まれ
必死で時代を駆け抜け生きてきた
昭和ジェネレーション男子もしかり。
かっこいい50、60代の男性が増えた理由には
違いないと確信する。


恋愛基準のダイバーシティはつづく

時代は移ろい、恋愛スタイルはもっと
多様化していくだろう。
30年後には、全く違う恋愛基準が王道になっているかもしれない。
でも永遠に変わらないものは、女性の母のような強さと愛情。
それは年齢に関わらず女が持つ本能。
心から寄り添えるそれに出会えたら
男性は幸せだと思うのだ。


Go to the next stage!

 

 

      
| 2020/04/07

Ms.Private 大人の恋愛事情 第4話~結婚のその先~

仮面夫婦。

この言葉を耳にするようになって長いが、
世の夫婦のほんの一部、壊れかけた夫婦の事を指す言葉だったと思っていた。
「家族内別居」「別居」「離婚」というプロセスの予備段階。
水面下の状況。
いずれ公にその状況がさらされて、シングルへの道をたどっていく。
でも、結婚して10年もたつとあまりにもたくさんの仮面夫婦が日常の風景に
多く潜んでいることに気づかせられた。
もしかしたら、夫婦であるなら「仮面」でなければ存在しないのでは?
という程の感覚にさえなるほどに。


仮面のタイプ、もしかしたらあなたも?

その仮面夫婦にもいろいろなタイプがある。
お互いに関心を持っていないが、公の場のために「夫」と「妻」の仮面をしっかり被る
「優等生仮面」タイプ、人生の共同運命体として、生活のために「夫婦」である事を選択した
「妥協仮面」タイプ、片方は離婚を希望しているが一方が受け入れないためいに家庭内別居が続く
戸籍上の夫婦、「離婚前仮面」タイプなどなど。
多種多様のカテゴリーが存在しているのだ。


恋人同士は怒りも愛に変動させる

恋愛時代の恋人同士ならば、または子どもが生まれる前までの二人きりの夫婦時代なら、
何かの原因で互いに不満が沸き上がり喧嘩となっても、エネルギーを使い果たすまで
不満をぶちまけ、感情に任せて次の行動に移る事ができる。
「ラインの返信が遅い」「デートの約束をしていたのに仕事を入れられた」
「ご飯を作ったのに美味しいと言ってくれない」、女性の小さな怒りは躊躇せず伝えられ、
炎上しようが解決しようが納得するまで二人でやり合える。
その後、怒りの反動で更に熱を帯びた愛になったり、思い通りにならないジレンマに悩まされたり
ドラマチックな日常が繰り返されている。

ところが夫婦となるとそうはいかない。
不穏な空気が漂っても同じ家で過ごし、食卓を囲み、公の行事があれば揃って出席する。
居心地が悪くならないよう、感情がマイナスに振られないように、心静かに過ごす。
それでも目を背けなければいけない項目がキャパオーバーとなった時、
突如として夫婦喧嘩は始まるのだ。
挙句にその日まで溜め込んだ、日頃見逃がしてきたはずの不満をここぞとばかりに吐き出していく。
避難材料を羅列しては相手を責め立て、ほとんどの場合当初の要因から大きく離れた内容で
争いは終焉を迎える。
気力と体力はすっかり奪われ、バトル終了後はスッキリしたというより、倦怠感に身を包まれ
どんよりした空気になる。
これでは、「ちゃんとした夫婦」として公に立つには時間がかかってします。


行きつく先は静かなる仮面夫婦

大好きな人とずっと一緒に、時間を共に生きる事がこの上ない幸せだ、と本気で思っていた。
(実はまだ私も信じている)ところが、最近よく出会う夫婦の多くは、「静かなる仮面夫婦」なのだ。
温度が低い、一言で言ってしまえば、関心が無い、むしろ無いふりをしている。
恋人同士だったら、とっくにセパレートしているであろう二人が、粛々と夫婦をこなしているのだ。


相手の体温を感じられること、その感覚が大事

生活の中で他人同士が密に生きているのだから、「恋」というフィルターが徐々に薄れ、
「真実」と対面しながら生きていくのだから。
なんだかわからないけど、相手にイライラする、なんて事は当然芽生える気持ちであり、
お互いに心の内側で相手が予想しない不満を抱えていたりする。
でも、夫婦である以上、揉めても不安に溢れていても、突如用意される夫婦のステージでは
(家族で呼ばれる行事は否応なしにやってくるのだ)笑顔で卒なくこなすことを求められる。
直前まで争っていたとしてもそのわだかまりごと感情を閉じ込めていかなければ、心が持たない。

そうして、いつのまにか感情を丸ごとぶつける事ができなくなり、近くにいるのに温度を感じない
夫婦になっていくという危険。
熱を帯びた二人の空気は消え、冷えていく心の熱は身体の熱も奪う。
相手祖求めるSEXとは程遠くなっていく。
抑場のない惰性で続ける関係では人は艶っぽくはならない。
あんなに愛を確認しあっていた日々はどこにいってしまったのだろう。


喧嘩するほど仲が良い、の意味

「喧嘩をするほど仲が良い」とはここに来た今しみじみとその意味を感じる。
大人として生きていく上で、感情を抑えるという事は必要な場面もある。
(自分の欲求を叫び続けるだけでなく、感情を一旦置いて、周りの意見にも耳を貸してみるという状況は大人として多々求められるのだろう)でも、大切な気持ち「誰かを強く愛する感情」
を日常の遠くに置いて生きていくこと程、寂しいことはない、と感じてしまう。
欲を言えば、生活の中でさえも翻弄される程の愛を手元に置いておきたい。
WANT よりNEED。
そう、もっと本能的なものとして。


仮面であるという事は

それは「家庭」という囲いの中に突如ぶち込まれた二人が、衝突と疲弊を繰り返しながら尖った何かを摩擦し、
静かに穏やかに生きていこうと無意識のうちに身に着けたスキルなのかもしれない。

3組に1組が離婚するという時代に、「愛を持って」生涯を添い遂げる、という事はもはや奇跡的なことなのだろうか。
もちろん、結婚という形を持つことだけが大切ではないと思うし、愛のスタイルは今後もますます形を変えてくあろう。
でも、「感情が揺さぶられるような愛」に出会い「結婚」というスタイルを選択した二人であるならば、
その愛を面倒くさがってはいけないはずだ。


愛の発掘か手放す覚悟か

予想外のすべての言動をマイナスの気持ちで受け止めず「笑い」に変換する努力。
そして、熱を帯びた愛で接する事を続ける。
日々の生活の中で埋もれそうなLOVEを毎日探し続けなければ、かつての2人は本当に手の届かないところに行ってしまう。
手遅れになる前にお互いが気づかなければいけない。
夫婦である前に妻はオンナであり夫はオトコであるという事を。
もし、それが不可能であるならば、不透明な関係にしかみ付かずに潔く別々の道を生きていくという決断が必要かもしれない。
「優等生」も「妥協」も覚悟を決めて手放す事が出来たら、その先にこそ心揺さぶる愛に出会えるかもしれないのだから。

愛して愛されて求めて求められる。
こんな単純な事のハードルが高い。当たり前のようでいて当たり前のことではなかったのだ。
でもかつてその熱にどっぷり浸かっていた頃が誰しもあったはず。
大人になることは心の熱を捨てていく事じゃない。
だからこそ決意したら貪欲に愛を求め続けよう。
仮面に隠れてないで。


Go to the next stage!

 

 

      
| 2019/03/19

Ms.Private 大人の恋愛事情~大人と恋~

見えない恋

「恋」という言葉に、人はいつまで心が震えるのだろう。
10代の時、大人たちを見て漠然と思ったことがある。
それは、恋は若い時の特権のような期間限定のもので、箱にいれて
いつか仕舞う日がくる、そんな風に無意識に感じていたのだと思う。
いつか訪れる、恋が許される時間が終わった後の自分は
それと引き換えに何を手にしているのだろうかと。
霧がかかったような大人の自分の姿を想像するしかなかった。


掴めない恋

大人になって気づいたのは、豊かな人生というのは愛に溢れている、と言いう事だ。
何気ない、日々の生活に散りばめられた愛に、人は生かされているとつくづく感じる。
愛は温かくて光の中にある。
誰かに包み込まれるような、安定した心地よい温度を作ってくれる。
愛は終わりがなく、点と点を繋げる力も持っている。愛は深く揺るぎない。
人は生まれながらにして、愛を切望して生きている。
それなのに、人はなぜ「恋」を求めるのだろう。

恋は温かいばかりじゃない。
むしろ、不安定な流れの中をコントロールできない船に乗り、温かい光を探して必死にもがいている。
そんなものではないだろうか。
時に、この上ない喜びを手にし、でもその次の瞬間には手から零れ落ちていく。
必死に拾い集めては気が付けば無くしてしまっている。
相手に惑わされ、互いの気持ちを計りあい、手に入れたい欲求を押さえなければならない。
叶う恋というのは、そうそうあるものでは無いのだ。
そう、だから恋は辛さを背負っている。
どんなに幸せだと感じる恋でも、一瞬で脆さを抱えている。

大人になればなるほど、それまでの経験が道筋を作ってしまい、
例え恋する相手に出会ったとしても、その道が交錆することは中々起こりえない。
強い気持ちであればあるほど、行き場のない想いが抜けだして彷徨ってしまう。
愛に囲まれているのに、恋というものはそれされ忘れさせてしまうのだ。


人は、それでも恋をする

大人になっても、人は恋をする。
結婚しても誰かとパートナーになっていても、恋は求めるものであると気づいたのはいつだろうか。
対象は人それぞれ、最も理想的な形で愛されている人にずっと恋を投影できる人もいれば、
テレビの中の架空の存在に恋をぶつける人もいる。
昔の恋に、しがみつきながら今を生きている人もいる。
偶然の巡り合いの中で、出会った人に恋をする。
時折、そんな事にも遭遇する人もいる。
そんな当たり前の事のような恋が、大人の恋では起きてならないのに。
それなのに、落ちてしまうのだ。不安定な流れの中に。
今ある愛をどこかにしまい込んで、光に背を向ける。
温かい光を探して手にしたのに、ようやく手に入れたのに、まだ自分は持っていなかったと思ってしまうのだろうか。

存在してはならない恋に落ちてしまった時。
人はもがき苦しむしかないのだろうか。
心の中に閉じ込めて、時折、箱を開けて覗いてみるような宝箱のような感覚を大切にする。
そして自分の中にまだ、心を震わせられる「恋」という感情があるのだと気づき、感謝する。
そこに切ないけれど幸福を感じることができれば、恋はその人に何かきらめくものをずっと与え続けられるのだと思う。

恋は、内側からも輝きを放つものであるから。
本当の巡り逢いならば、たとえ、手にした人生同士が交錯する事ができなくても、内に秘めたその輝き同士が二人だけに分かる音で共鳴しているものだと思う。
その輝きを内側から放っている人は、だからこそ、強く美しい。

大人の恋は、秘めた恋。
熱を帯びた気持ちを、そっと懐に秘めて生きていく。
巡り合えたことに感謝をして、一瞬でも共鳴する音が聞けたら、今度は手放す強さを持たなければならない。
恋は愛を目指して、愛は恋を思い返させる。
人はきっとその中で生きているものだから。
大人の恋は、強く、儚く潔くなければならない。

 

 

      
| 2017/04/04

Ms.Private たくさんの顔を持つ女性たち Ⅲ~心で恋をする~


例えば誰かを好きになる。

その瞬間からほんのり体温が上昇していく、そんな感覚に陥る。
きっと自分にしか分からないアンテナが反応したのだ。

 

恋に落ちた、その刹那。

身体の隅々に巡らされた小さな血管が、じわりと逆流してくるようなそんな高揚感。

その人の周りだけ、空気が違った色を見せる。

自分から遠い場所で、例えばその彼が友達に囲まれていても、彼の周りの空気の色だけ全く別の色になって自分の目に映る。

思わず気を取られてしまう、そんなコントロール不可能な自分を引き起こすばかり。

恋する女性が美しくなるのは、熱を帯びた空気感と不安定さの生み出すアンバランスさが彼女の周りに艶っぽさを醸し出すからに違いない。

 

だからこそ、心で恋をしなきゃ。

頭のてっぺんで恋ができるわけがない。予定も計画も打算も理想も当てはまらない。

心の奥底にある自分でも掴めない自分自身の心が、意識の表面の下にある深い深い本能が、惹かれているのかどうか。

身体の細胞全部で相手を欲していると感じられるかどうかなのだ。

 

惹かれあうという、壮大な奇跡。

相手のアンテナも自分の事をキャッチしてくれる、恋が引き起すそんな奇跡が起きたら、それは運命かもしれない。

同じ温度で相手を想うという事。一緒にいなくても、相手の温もりに包まれる、睫毛が震える。

頭でする恋には決して感じられない感覚ばかりが貴女を襲う。不明瞭な幸福感。

 

そんな恋を貴女はしましたか?

同じ時代に生きて、この広い世界の中で二人巡り合えたこと、存在していてくれたことに、ただ感謝する気持ちになる。

そして、相手を大切にするように、相手に愛される自分自身を大切にしていこうと感じる。

お互いを崇める感情の巡り合いがなされるもの、それが真実の愛。

 

誇れる自分で相手に出会うということ

そんな奇跡の相手に出会った時、どんな自分でいられるかイメージを描こう。

誇れる自分でいなければいけない。

心も体も消耗しきった薄っぺらい女じゃ、喜びに震える細やかな感覚も失ってしまう。

無駄な数の恋は、なんのプラスにもならないのだ。

だから、自分を大事にしていよう。心震える人に出会う時のために。。

大切な相手に大切にしていた自分が出会えますように。

      
| 2016/02/03

Ms.Private たくさんの顔を持つ女性たち Ⅱ~五感で恋するオンナ達~

遺伝子が求める本当の恋

出会ったときに本能で感じるもの。それが恋の始まり。
五感は敏感に相手を探っていく。

人は遺伝子レベルで恋をする。

潜在意識よりもっと深いところで、
身体に組み込まれた遺伝子が相手を求めている。

そこに、環境や経験はまず意味をなさない、
どうしてもどうしても惹かれてしまうものだから。

お互いに惹かれあうのだとしたら、きっとそれは求め合う遺伝子同士が同じ時代に巡り合えたという、最大の奇跡。

そう、恋は奇跡のかたまりなのだ。

女性は声に恋をする

男は見た目で恋をして、女は声に恋をする、と言われるほど女性は耳で恋に落ちてしまう。

その人の声をずっと聴いていたいと思うほど心地よい声に出会ったら、
その恋はもう深みはまろうとしているのかもしれない。

メールやラインより、電話をかけてみる事。声を聴きたい衝動にかられる、
会っている時にずっと声を聞いていたいと思う、波長が合う相手に対して強く感じるものだから。


オンナは香りで相手への恋心を測る。

恋愛をすると、嗅覚は五感の中でとても大切な役割を果たす

香りはその人の余韻を最大限に残すものだ。

好きな人の匂いは、とてつもなくいい香りとして心を満たす。
パフュームの香りと体臭が入り混じったその人だけのものは、
相手の存在感を圧倒的に知らしめる。

傍にいるだけで、気持ちが高揚するそんな幸せな香り。恋をすると香りを大切にする。

恋心が薄れていくと、途端にその香りは意味を持たなくなる。あんなに幸せを感じさせていたものが、無機質なもの無色なものへと変わっていく。

香りは心の状態を反映する。それくらい人の『恋』に寄り添っているもの。


記憶をよびおこす香水

記憶と一番結びついているもの、それが嗅覚。

五感の中で嗅覚だけが、記憶と感情に関係する大脳辺縁系に直接つながっているため、香りによって思い出される記憶は、より鮮やかに感情を伴って呼び起こすものだと言われている。

街でふとだれかとすれ違った時、懐かしい香りに出会って振り返った事はないだろうか。

予期せぬ再会のように、フラッシュバックして時代を遡る。

苦い想いも甘い記憶も絡めた、不思議な記憶となって脳裏を駆け巡る。

忘れたつもりのどんな記憶も、嗅覚と共に心の深いところに閉じ込められているだけかもしれない。

自分の香りを身に着ける

女性ならば、自分を表す香りを纏うこと。

パフュームが苦手でも、お気に入りの香りのボディクリームを温めた身体に伸ばすだけで、その人の香りとなって全身を包む。

その香りが相手を支配する。そんな強気にさせてくれるもの。

視覚で恋に落ちる男性を、嗅覚は狂わせる力を持っている。

貴女を表す香りは誰かを狂わせているかもしれない。

 

何となく好きになった恋も、実は遺伝子が引き寄せた本能で求めた恋かもしれない。

苦しい恋も、切ない恋も、諦めたい恋も、でもどうしても惹かれてしまう恋。

この人生で一度でもそれに巡り合えた貴女は、実は幸せなのかもしれないね。

その恋がもし許されないものであるならば、自分から手放すことを出会った時から考えなければいけない。

  
  その勇気が持てるかしら?

私だったら遺伝子レベルでひかれあった奇跡を信じて頑張るわ!

| 2015/08/26
  • left_slid1
  • left_slid1
  • おむつケーキ

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